鳥取にいるとき
「死ねばいい」と よく思っていた。
何があっても
私と対象、どちらかが消えれば
すべては“いい思い出”になる。
ぜんぶ、ぜんぶ泡沫だ。
自分を苛むのも
対象を蔑むのも意味がない。
「死ねばいい」は
幸せに生きる術だった。
ということを
あわただしさに流される日々の中
ぼんやり思い出してた、今。
こんな遠くに必死で来たのに、あの頃と
まったく変わってない世界がある。
生きることにベクトルが向かない毎日。
仕事と、仕事と、仕事と…お金?
すべてが、すべての人間関係が
お金に絡まってる。
毎日、人間関係買ってる。
だけど
どんな理不尽だって
虚しさ、惨めさだって
死ねば泡沫。
死を考えることが
人生の楽しみだとか。
ところで
あの世って この世と何が違うんだろう。
何があって、何がないんだろう。
キャラメル、びわ、水仙の花、魚釣り
夜の蛍、ふわふわ素材の布、どんぐり、蝶々
竹ぼうき、ほおずき、窓ガラス、入道雲
パン屋さん、夜の高速道パーキングエリア
雨粒、風の回廊、ふりかけごはん…
あの世に好きなものがある確証はないから
この世の好きなものたち…
つまり、生きることに執着する。
死の向こう側を見ようとすると
生きたいと思う。
そういうパラドックスの中
明日の朝も
ちゃんと目を覚ますんだろうね。
サーカスの日
あなたの向こう 背中の向こうの
この世の果てみたいな色をしている
風景はなぁに?
(作詞作曲:たま(滝本晃司), 1998年 たま「いなくていいひと / サーカスの日」からの引用)
なんかとても懐かしい曲だよ。