ベースライン

あの人に出会ったのは、たぶん今から見て20年ほど前だったと思う。
出会ったと言ってもネトゲ友達。
一回り年上だった。

彼は企業の役職者で、趣味はバンド。
ベーシストとして活動していて、ネット上にもビール片手にライブで演奏している様子をアップしていた。
仕事しながら趣味やネトゲまでして、彼はかなり器用な人だと思った。

最近、好きな洋楽のベースラインを聴いていたら、彼のことを思い出した。
ものすごくメロディアスなベースラインで、彼もこんな感じで弾いていたのかな…と。

彼は40代後半に差しかかった頃、「ふらつく」「こけた」という言葉を投稿するようになった。
「ビールの飲み過ぎじゃない?」などとネット民はワイワイ騒いでいた。

そのうち「病院で検査してきた」「難病」という言葉が現れはじめた。
毎日、ほぼ24時間ネット上に居た彼は、ログインする頻度がしだいに減っていった。
私たちネット民は何にしろ画面越しなので、事の深刻さがいまいちわからない。

あるとき、たずねてみた。
「今もベースやってるの?」
「もうベースできない。手に力が入らない」

え?

40代だよね、まだ。
つい1年ちょっと前までふつうに歩いて働いて、ネトゲして、私は参加しなかったけどオフ会とかもやってたよね?

画面越しの見えない距離がもどかしかった。

その翌年、私はタイマンで彼と会う約束をした。
彼に会って話してみたかったのと、彼はネトゲ上でよく地元の話をしていて、一度行ってみたいと思ったのと、「もうこれが最後になるかもしれない」という焦燥感と。

彼の住む町へ赴いた。
ファミレスで待ち合わせをしたけど、彼は一目でわかった。
そして「なにか病気なんだな」とわかる感じだった。
姿勢を維持できなくなっていて、ちょっと傾いていた。言葉も聞き取りづらかった。

彼の車は握力がなくても操作できるように、専用の改造がされていていた。
その車に私を乗せて、神社や水族館や赤福や…地元のあちこちを案内してくれた。

本当に、他愛ない会話をして穏やかな時間だった。

翌日仕事のだったので、夜には帰らなければならなかった。
この後も…もうネトゲにはあまりログインしなくなっていたけど、メールアドレスを交換したので、時々やり取りをしていた。

ある日。

彼にメールを送ったら「アドレス不明」で返ってきた。

社用メールなら退職したか、スマホを扱わない業務に転向して返却したか、あるいは…

少なくとも彼は、私にいろんなことを教えてくれた。
上手く言葉にできないけど、リアルというか、その瞬間の大切さというか。

「かけがえのない」という言葉とたまに出会うけど、いつも薄っぺらいなと思っていた。
偽善者が使う言葉みたいだ、と。

だけど彼が私に見せてくれたすべては、ネトゲ時代も含めて「かけがえのない」世界だった。

それは、ほんの一欠片であっても、たとえ画面越しでも、
決して薄っぺらなんかじゃなかった。

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