当然を当然にすることも大切。
だけど当然を拡大するのは怖い。
たとえば認知症で、
本人は当然と思っていることが
周りからしたら間違っていることもある。
本人と周りの当然がずれているとき。
たぶん周りは本人を否定する。
周りのほうが多いから、
本人は寄ってたかって否定されることになる。
私がもし認知症患者の立場なら
たぶん生き地獄だと感じる。
孤独と否定の地獄。
なにしろ
お前の言うことはすべて間違っていると
周りにいる人間すべてから言われる。
しかも、「わかる?」「できますよね?」って
上から目線で言われるとか。
当然…あたりまえ。
靴を揃えるとか、いただきますを言うとか。
あいさつをするとか、出したら片付けるとか。
当然って
好ましいものを得るために使う尺度であって
否定するための尺度ではないと思うんだ。