「すべては起こるべくして起こってる」
という話を聞く。
すべては必然だ、と。
魂の成長とか
そういうことを言う人もいるけど
そしたら自ら命を絶つことも
それを目撃することも
必然だったということか?
ショッキングな場面に関わることや
後処理をすることが
修行になるのは、わからなくはない。
だけどその場合、必ず対象が必要だから
…後処理「される」人が必要だから
すると、自ら悲惨な方法で命を絶つことを
肯定しなければならなくなる。
さらに、その事象の原因となった
たとえばモラハラなども、
知らない誰かの成長に貢献した
素晴らしい行いとなってしまう。
なんだろう。こうやって考えると
善悪の境目が曖昧になってくる。
善行って、何だ?
悪行って、何だ?
ひとつだけ想像がつくのは
自ら命を絶つことは
自分のために良くないことくらい。
生きてると、雑踏の喧騒とか
雨のジメジメとか
夏の灼けつく日射しとか…何かと忙しくて
自分の心にかまける割合が限られてくる。
五感で受け取るものは、良くも悪くも
気持ちへのジャミング機能となる。
一方、死んだら
常に自動運転してる
ジャミング機能の多くが消える。
つまり、自殺して幽霊になると
最期の無念な気持ちがのしかかる上
五感の一部がない…つまり暑さも痛みもない
一説には文字の概念がなく読書できない
壁殴ってもすり抜けるような幽霊の世界では
気晴らしまで難しくなる。
「すべては起こるべくして起こる」としても
自ら命を絶つことが必然だなんて
信じたくはないね。