善悪

「すべては起こるべくして起こってる」
という話を聞く。

すべては必然だ、と。

魂の成長とか
そういうことを言う人もいるけど

そしたら自ら命を絶つことも
それを目撃することも
必然だったということか?

ショッキングな場面に関わることや
後処理をすることが
修行になるというのは、わからなくはない。

だけどその場合、必ず対象が必要だから
…後処理「される」人が必要だから
すると、自ら悲惨な方法で命を絶つことを
肯定しなければならなくなる。


(修行になった!亡くなってくれてありがとう!)
ここで彼が悲惨な亡くなり方をするのは、必然だったんだ…

さらに、その件の原因となった
たとえばモラハラなども、
知らない誰かの修行の糧となり成長に貢献した
いわば「善行」となってしまうのではないか?

なんだろう。こうやって考えると
善悪の境目が曖昧になってくる。

善行って、何だ?
悪行って、何だ?

ひとつだけ想像がつくのは
自ら命を絶つと未練が残りがちだから
自分のために良くないことくらい。

生きてると、雑踏の喧騒とか
雨のジメジメとか
夏の灼けつく日射しとか…何かと忙しくて
自分の心にかまける割合が限られてくる。

五感で受け取るものは、良くも悪くも
気持ちへのジャミング機能となる。

一方、死んだら
常に自動運転してる
ジャミング機能の多くが消える。

五感の一部がない…暑さも痛みもない
壁殴ってもすり抜けるような幽霊の世界では
気晴らしは難しい。

「コノヤロー!」と叫びながら砂浜を走っても
砂の感覚も、潮の香りも、向かい風の風圧も
息が切れることも、そもそも走る感覚も
何もないから。

どストレートに
最期の無念な気持ちだけが、ただ在るんだよ。
たぶん。

「すべては起こるべくして起こる」としても
自ら命を絶つことが必然だなんて
信じたくはないね。

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