1月、広島行きを決心した。
いろいろ考えながら、その瞬間
もう行動に移していた。
そしてそれは ひとつのはじまりで
ひとつの終わりでもあった。
広島にいたとき、何を思ってそこに住み
何を思って転々と住処を変え
何を思って去っていったのか。
記憶の断片をもう一度かえりみる。
続ける理由
辞める理由。
居られる理由
立ち去る理由。
みんなの姿を見て、
先生に会って
たぶん言葉にできないんだろう。
言葉ってコンパクトで硬い
ペットボトルのよう。
おかげでカバンに収まる形にして
水をどこにでも持ち運べる。
「はい、お水」って
誰かに渡すことだってできる。
でも水はペットボトルじゃない。
そのままの水は
捉えようがなくて、勝手に態を変えて
もう、手に負えない。
手に負えないからペットボトルに入れ、
そのペットボトルを「水」と呼ぶ。
水は想い。
ペットボトルに入れると 人に渡せる。
だけど、ペットボトルのありようで
色がついて見えたり
ジュースと誤解されたり。
私の水なんだから
ほっといてくれればいいのに
そうもいかないのが、世の中。
それなら水のまま
私の中に留めていよう。
扱いに困るけど、それはそれで
なんとかするから。
きっと これでよかった、と
自分で自分を納得させる。
